日記

肺炎になりました。

「肺炎だよ」と言われて、ほっとした。

ここ2週間ほどの間(2021.02.12)、正直に話すと、どこに進むともわからずただただ苦しくて、辛かった。進む道の先には「死」しか見えなかった。

だから「肺炎」と言われて、嬉しかった。

「肺炎」ならこの苦しさは納得出来るし、治療が出来て、且つ、治る手立てがあるなんて大袈裟ではなく、奇跡のように思えた。

肺炎」は治せる

まるで癌まで治るような嬉しさ(笑)。いやだって、苦しいんだよ。一日中ずーーーっと、苦しい(笑)。「カッコ笑い」って語尾に付けたら苦しさが紛れるかな?とかまで考えてしまうほど、苦しい(笑)←練習。

絶妙な判断が未来を左右する。

そして僕は「安静」。僕に課された日々の任務は、ただ「安静」にしていること。これが難しい。とっても難しい。「肺炎」を治療するということは、抗がん剤治療を一旦ストップして、抗生物質を投与することになる。

これが難しい…。

・友人は一旦抗がん剤治療を止めることがなかなか出来なかった。「無治療」になるのが怖かったからだ。これは抗がん剤治療している誰もが抱える恐怖心だと思う。誰だって、進行中のがんがあるのに、手放し無治療状態で生きていくのは怖い。だからもう少し、もう少しと、ギリギリまで抗がん剤治療を続け、症状を悪化させてしまった。

また別の友人は「肺炎」は治ったと、前のめりに決めた。そして新たな抗がん剤治療へと向かった。

友人達は2人とも戻らなかった。

彼らの死に向かった原因は、こうした判断のせいであるとはもちろん断言は出来ない。他の様々な要因が、大きく彼らの死に関わっていると考えた方が納得がいく。

  • いつから「抗生剤」の治療に入るのか?
  • いつ「抗がん剤治療」を再開するのか?

気持ちが急く。

そんな彼らの気持ちがよくわかる。僕も「肺炎」来たよ。と、今なら話せるのにな。そして「いつから」、「いつまで」、「肺炎の治療」を続けるのか、2人に相談したい。

ぜひ、枕元に立って欲しい。せつなる願いだ。

ABOUT ME
kenken
2015年11月に肺腺がんステージ4、余命1年の宣告を受ける。 只今、元気にアディショナルタイムを駆け抜け中! 呟いたりもします。 noteも始めました。