2019年5月23日(木)
ドセタキセル24日目。
- フロセミド(むくみの利尿剤)
- オキノーム5mg(咳、手足のしびれ)
夕方追加
- オキノーム5mg
- ロキソプロフェン(胸の痛み)
弟が遊びにやって来た

弟が遠い岡山から遊びに来た。2泊3日で、うちに泊まっていった。弟は僕より3つ年下。僕がしっかりおじさんの46歳なので、弟もバッチリおじさんだ(笑)。
3年ぶりの再会だった。もう嬉し楽しで、お祭りだった。娘もいつもよりかなりテンション高め。なんでも買ってくれるおじさんが来るのだから、そりゃ楽しいだろう(笑)。
妻にしてみるとやっかいなのかな?いやいや、そんなことを書いたら怒られる(笑)。妻は弟が泊まりに来ると決まってから、毎日コツコツ家の中の掃除を始め、弟がやって来る2、3日前はもう大掃除状態だった。それからすると、どう思ってるのかな?とも思う(汗)。でも、家の中が見違えるほど綺麗になり、「定期的に誰かがお家に来れば、この綺麗さをキープできるかも?」なんて思っちゃった・・・。
がん告知と家族

3年ぶりに弟と会って、
「どう、元気?具合悪くない?」
そんな弟の言葉に、優しさが溢れていて暖かい。
「そっちこそ、大丈夫?」
弟は重度のてんかん持ち。僕よりも病人だ(笑)。
僕の言葉を、弟はどんな風に受け止めているんだろう。
家族と触れ合うと、嬉しさとともに、感慨深いものがある。余命宣告から3年。弟は自分の病気とも戦いつつ、僕の病気とも戦っていたはずだからだ。家族は常に寄り添ってくれている。かけがえのない存在だ。
告知は妻と一緒に受けた。そして、妻と僕、2人で当時小学3年生だった娘に伝えた。電話で僕の父に伝え、母には父から伝えてもらった。弟には僕から電話で伝えたのを覚えている。
家族へのがんであることの報告は、僕が告知を受けるのと同じだ。報告を受けるのはショックだし、悲しい。同じように、家族にショックを与えてしまう方も、悲しい。
そして、僕が時間をかけて告知された痛みのようなものを少しずつ納得して慣れていくように、家族たちも同じように長い時間をかけて少しずつ、納得して、理解していく。告知されたのは僕だけれど、報告をしたときから、家族もがんと向き合うことになり、がんと戦うことになる。
寄り添う気持ちだけで、嬉しい

告知を受けた自分自身をどのように理解して、どう納得していけばいいのかまったくわからないように、家族たちもわけがわからず、それに加えて、僕自身にどのように接していいのか、どんな言葉をかけていいのかも、悩む。
どうやってこれから病気に立ち向かっていくべきなのか、みんな混乱する。
でも、寄り添ってくれようとしているのが、わかる。言葉じゃなく、態度じゃなく、そばにいるだけで、優しさがたくさん伝わった。遠くに住む両親からは、電話越しでも、悲しみも優しさも、全部伝わった。
そして、救われた。助けられた。
僕がただのバカなのかも知れない。勘違いしているだけなのかも知れない。だけど、「家族であること」。その事実だけで、僕は支えられていた。
だから、家族が「がん」になり苦しむ人を見ると、思う。
その苦しみも、患者本人にも伝わり、それは迷惑ではなく、愛情として支えになっている。「当惑してなかなかかけられない言葉」も、「どう接していいかわからない迷い」も、愛するが故のことなのだと、頭で理解しなくてもわかっている。
ありがとう。
心から深く、感謝している。
家族は偉大だ。


