2019年6月27日(木)。
13回目のドセタキセル2日目。
僕は基本、前向きだ。
謙遜や自虐ではなく、「バカだから」だと思っている。
ものすごい楽天家とも言える。
嫌なことは冗談抜きに、記憶喪失みたいに忘れられるし、嫌なことは考えるけれど、時間が経てば薄れる仕様になっている。
さて、6月25日(火)に診察があった。
この前のCT検査の結果。結果は、良くなっていた。胸膜播種といって、肺の中に小さな肺がんのつぶがたくさん散らばっているのだけれど、それらが一部分だけど、小さくなっていた。あるところは黒い何もない画像がクッキリしているところもあった。消えた部分もあるということだ。
嬉しかった。
3年半、治療を続けて来て、ハッキリと目に見えて結果がわかるのは、これが初めてに近い。シスプラチンのときも白い影がうっすらとはした。だけど、今回はクッキリと一部が黒くなり、小さな肺がんたちが消え、小さくなっていた。
もちろん、原発の腫瘍はそのままだし、転移した左肺の腫瘍はそのままだし、リンパ節の転移も相変わらず。だけど、一部分ではあるけれど、ここまで良い方向に向かったのは本当に初めてだった。
でもこの文章を読んでいただいてわかるかも知れないけれど、素直に喜べない自分がいる。長い間、悪い方向にしかいかなかったから、「喜ぶことに」耐性がない・・・。
それに、腫瘍マーカーは相変わらず上昇していた。
だから、腫瘍マーカーがもっと低かったときにCTを撮っていたら、実はもっとクリアになっていて、そこからまた憎悪に向かっている最中ではないか?という疑問がぬぐえない。要は悪くなっている途中なんだ、と。
僕は奇跡を信じていない。
このまま播種がどんどん消えて、転移したがんも消えて、完解に向かうなんて到底思うことは出来ない。そこまでお気楽ではない。
でも、いつから、こんなに怖がりになったんだろう。
また、ガッカリするのが嫌だ。次は効くんじゃないか。効果があるんじゃないか。そう思って、結局耐性がついたり、悪くなったりして、その度にがっかりするのがもう嫌だ。
そして、周囲のたくさんの人をガッカリさせて、悲しませるのが嫌だ。きっと今回の腫瘍が少し消えた話をすれば、みんな希望を持つ。でもそんな希望は続かない。どんな風に受け止めて、どんな風な顔をしたらいいのか。わからなくなる。
僕は楽天家だ。
応援されると、心の底から嬉しいと思う。励まされると、もっと頑張ろう!、気持ち悪さも、嘔吐も何でもクリアにしてやる!と思う。なのに、自分のこの今の状況を「ばんざい!」と喜べない。大きな声で「やったー!」と叫べない。
本当にひねくれてるなぁ、と思う。
明日には笑えるかな?
僕は単純でもある。


